層雲峡
マウントビュー
ホテル

北海道の屋根とも言われる大雪山。マウントビューホテルは層雲峡温泉街の入口に位置する、癒しと寛ぎを併せ持つ山荘リゾートホテルです。

珍客(??)です♪

2016年11月27日

北海道は、すっかり冬景色です・・・。

実は、当ホテルに来られるお客様は、様々です。

中には、お客様はお客様でも、一風変ったお客様が来ます・・?!

人間・・??・・いいえ、それは違います!!

なんと、『エゾシカ』さんご一行様です

毎年、ホテルの後ろにある山から下りてくるのですが・・テリトリーなのか、エサを求めているのか定かではないですが、よく見かけます・・。

たまに、バスの駐車場の所で日向ぼっこしてたり・・・気がついたら、ホテル玄関前を堂々と歩いていたり・・さらには、反対側に行くのに川を越えたり・・・と、まるで自分の家のような感じ(???)で寛いで(??)います

是非、皆さんもかわいい(??)エゾシカに会いに来て見てはいかがですか・・・。

ただし、必ず会えるとは限りません!!また、野生の鹿なので、結構危険です!!

近寄ると、人間を警戒して、すぐ逃げます!!

出会ったときは、ゆっくりと、そっと遠くから、眺めてくださいね

冬の鹿さん。

冬の鹿さん。

 

 

 

 

 

 

 

冬の餌場は、どうやらホテル裏一帯にあるらしい・・・。

 

 

 

 

2Fの非常口の窓に鹿さん登場??

2Fの非常口の窓に鹿さん登場??

 

 

 

 

 

2階非常口の窓から撮っています・・。

 

 

 

 

 

 

ホテル前に現れます!!

ホテル前に現れます!!

 

 

 

 

夏はホテル玄関前を歩きます・・。

 

 

 

 

 

駐車場で日向ぼっこ??

駐車場で日向ぼっこ??

 

 

 

 

駐車場で日向ぼっこ(??)している様子♪

 

 

 

 

 

 

 

 

鹿さん、いらっしゃいませ!!

鹿さん、いらっしゃいませ!!

 

 

 

 

鹿さん歩いて、ホテルにチェックイン(??)ですか・・。

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに、上記画像(一部はおはるちゃん)は、今まで社員さん達が撮った写真です。

そして、おはるちゃんは思う・・。

『鹿にぶつからないよう、気をつけて、車を運転しなければねぇ・・。だって鹿が、急に飛び出してくるからねぇ・・。』

 

北海道は、連日のように雪が降り、ウィンターシーズン真っ盛りです・・。

北海道の場合は、ほとんどの施設が春~秋にかけて営業しており、11月ぐらいからはほとんどの施設が冬期休業になります。(ならない所もありますが・・・。)

しかし、当ホテルの近隣周辺の施設では、『黒岳スキー場』『旭山動物園・冬期開園』また1月下旬から3月までは、道内各地で冬のイベントが始まります・・。

そして、12月のイベントといえば、『クリスマス』ですね

当ホテル内にも、素敵なクリスマスツリーが登場いたしました!!

真っ白なクリスマスツリーは、来館されたお客様にとても好評で、ツリーの前で記念写真を撮るほどです

是非、素敵なクリスマスの夜を、源泉100%の温泉と美味しいお食事で、お楽しみください・・・。

 

2016クリスマスツリー

2016クリスマスツリー

メリークリスマス!!

メリークリスマス!!

 

 

 

ホワイトクリスマスツリー♪

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、おはるちゃんは思うのです・・・。

『また、今年もクリスマスがやってくるなぁ・・。今年は、どんなクリスマスになるかなぁ・・(笑)』

 

層雲峡の偉人達 2

2016年9月28日

 

     

    永山岳(標高2,046m)は温泉街からロープウエイとペアリフトを利用して上がり、黒岳を越え、お鉢平から北西方向へと進んだ所にあります。山名は明治時代に北海道開拓使に出仕し北海道の開発と産業の発展に大きな業績を残した永山武四郎の名に因んだと言われています。今回は、山の名の由来となったこの偉人を紹介します。

    明治2年(1869) 、開拓使庁(東京)の開拓判官(松浦武四郎)が蝦夷地北海道と改称し、蝦夷の地にも国や郡をしくこととなりました。それにより、現在の旭川一帯は「石狩国 上川郡」とされ、明治5年(1872)札幌開拓使庁開拓判官 岩村通俊の命により、当時未開地であった上川地方が初めて公式に視察されました。

    明治15年(1882)、岩村(会計検査院長)は北京(ほっきょう)設置を明治政府に建議します。西の京(京都)、東の京(東京)、そして北海道には北の京を設置するという構想です。京は現在の東神楽町など神楽地域を中心とする一帯を想定していました。これは、北海道開発を急速に展開させたいとの彼の願いとともに南樺太に進行する対ロシア警備を急ぐべきとの認識があったものと考えられています。明治18年(1885)、岩村(司法大輔)が永山武四郎屯田兵本部長、後の2代目長官)らを連れて近文山(現旭川市郊外)から上川盆地を視察し、再度上川への北京設置を明治政府に建議します。政府は北海道庁を札幌に置き、黒田内閣で岩村は一旦閑職に追いやられますが、翌明治22年(1889)山県有朋内閣では、北京ではなく離宮 (皇室別邸)の形で要所を置くという「上川離宮計画」が閣議決定されました。これが人々の関心を集めて急速に入植者が増大、上川発展の引き金となり、ここから永山の活躍が始まります。

    明治23年(1890)、調査委員が訪れ上川離宮の予定地が現在の旭川市神楽岡公園や上川神社近くに選定されると、あわせて皇室御料地も設定されました。御料地は10552㏊、 離宮造営予定地は33㏊とされました。しかし、その後の札幌・小樽の財界人や第4代北海道庁長官北垣国道の反対により計画は頓挫します。明治44年(1911)、皇太子の北海道行啓の際に離宮予定地をご訪問されましたが御料地の指定は解かれ、大正13年(1924)、離宮予定地であった場所に上川神社が移設されてことは終了します。

    軍事の面においては、ロシアの侵攻に対抗するとともに本道開拓の推進のために農と兵を兼ねた屯田兵制度の設置が望まれていた当時、永山は開拓使に加わり、同僚の開拓使とともに北海道に屯田兵設置を建白しました。明治8年(1875)に開始され明治37年(1904)に解体されるまでの30年間で37の中隊、7337戸の兵家(家族を含め3万9900人余り)が入植した屯田兵は、本道の開拓・発展の礎を築き上げました。

    明治21年(1888)、総理大臣となった黒田清隆はロシアのコサック兵制度について調査していた永山に屯田兵本部長を兼任させ、2代目北海道長官に抜擢します。その後、上川・空知に屯田兵の重点を移し、それまで士族に限られていた屯田兵資格の枠を撤廃すると、兵村は農・商・工に長けた人々によって開拓の模範として急速に成長を遂げてゆきました。その後、層雲峡温泉に目を向けたのも彼らです。同年、永山は札幌農学校に兵学科を設けて兵士の養成を図るとともに上川離宮護衛のために多くの屯田兵を上川地域に招き入れ、今日の旭川の都市機能を発展させました。また、御用林を道内全域に造営、夕張・空知には炭田、札幌にはロシアとの接触に耐えうる人材の育成のためにロシア語研究所を設置することで、本道開発に要する各種資源の確保を彼は次々と行いました。

    明治37年(1904)5月27日、67歳で永眠すると遺志により遺体は上野から札幌に移され軍服姿で豊平墓地に埋葬、後に里塚霊園に移されたそうです。

    どうぞ大雪山層雲峡へお越しください。人と自然との在り方を振り返りながらゆったりと時が流れる癒やしの旅に、当館もお役に立てることができましたら幸いでございます。

                                                                                                                                                                   Nobu

 

参考資料:「よみがえった『永山邸』」(高安正明、共同文化社、1990)

                    「北海道開拓の先覚者達(27)~永山武四郎~」(財界さっぽろON LINE、2014)

上川総合振興局ホームページ(地域政策課 「大雪ものしり百科『自然編』」

皆さん、こんにちは

層雲峡の紅葉・・麓まで到着いたしました!!(・・・といっていいのかな???

まだ、完全とはいかないですが、多分今年は、このまま終わるのではないかな・・と思います。

8月に台風が4回上陸したために、日照時間が少なかったのと気温が上がらなかった為に、例年より少しだけ紅葉のスピードが遅いかな・・とも思います。

しかし、9月に入り、天気の良い日が続き、また日中と夜の寒暖差が激しくなった事で、紅葉の色つきが少しだけ濃くなって参りました。

層雲峡温泉街は、今が見頃ですので、是非、この機会に『日本一早い紅葉』をお楽しみください・・。

そして、紅葉狩りを楽しんだ後は、ゆっくりと温かい温泉と美味しいお食事を、ご堪能ください・・!!

 

9月22日現在の紅葉の様子(ホテル前)

9月22日現在の紅葉の様子(ホテル前)

 

 

 

 

 

 

 

 

9月22日の紅葉の様子

 

 

 

 

9月25日現在の紅葉の様子

9月25日現在の紅葉の様子

 

 

 

 

 

 

 

 

9月25日の紅葉の様子

 

 

 

 

9月26日現在の紅葉の様子

9月26日現在の紅葉の様子

 

 

 

 

 

 

 

9月26日現在の紅葉の様子

 

 

 

 

 

そして、おはるちゃんは思う・・。

『紅葉が終われば、冬の季節になるなぁ・・。今年もまた、タイヤ交換する時期だねぇ・・。』

層雲峡の偉人達 1

2016年9月16日

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明治44年(1911)、時の逓信大臣(鉄道院総裁兼務)あてに建白書を上申し、貴重な自然資源を開発の手から守るため国がそれを保護すべきであると説いた人物がいました。かつての愛別村長、太田龍太郎です。彼は「国立公園」という名称を日本で初めてここで用い、後藤新平大臣に「霊山碧水」(現在の層雲峡周辺を指す)の保護を力強く訴えかけました。「土地払い下げの運動も猛烈となって、いわゆる政商・富豪の類いが競い合って土地を入手すべく狂奔している。ゆえに国家百年の大計によって、石狩川上流約十里四方の地域を厳重に保護、取り締まり、いかなる個人・団体にも土地の払い下げは絶対断固禁止せらるるべく嘆願する。」(要約)

彼と後藤が幼なじみであったことも功を奏しますが、同年富士山一帯を国の手で保護するための誓願が日光の人々から帝国議会に提出されたという好機を彼が逃さなかったことが一番の理由と考えられます。この功績により、大雪山は昭和9年(1934)に国立公園の指定を受けます。北海道の中央にあたり北見・天塩・十勝に通ずる道路・鉄道が敷設される日が刻々と近づいていた頃、彼は既にその先の道民の心の安らぎを憂い、我利私欲に流されることのない保護地区の建設を急務と捉えて疑わなかったのです。

一方、地域開発の魁けとなったのが、後の層雲峡温泉の開祖で塩谷水次郎の養子、塩谷忠です。大正元年(1912)、養父水次郎が常呂郡オンネ温泉の国沢歴蔵とともに発見した温泉をもとに、陸軍第七師団司令部(旭川)軍医部の転地療養所建設計画に忠が協力し、旭川町議、区議、後に商工会議所会頭となる荒井初一がそれを援助したことから温泉と道路・電気のインフラ整備がこの地で急速に進められました。しかし、大正11年(1922)の豪雨で石狩川が氾濫し「塩谷温泉」も「国沢温泉」も建物・家財もろとも流されてしまうと、翌年、荒井は塩谷温泉の権利を譲り受け、大正13年(1924)、木造平屋50坪の大旅館を造り上げました。早速、彼は館の宣伝を兼ねて旭川の有力者十数名を馬に乗せ、新築の「層雲閣」に招待したと言われています。また、その翌年には「大雪山調査会」を結成し、会長兼スポンサーとして大雪山の科学的調査研究や高山植物の保護指定、山なみの魅力紹介などに奔走しました。

「層雲峡」の名は、詩人で文筆家の大町桂月によって世の中に広められました。大正10年(1921)、塩谷温泉に宿泊した彼は黒岳・白雲岳・旭岳・松山温泉(現在の天人峡温泉)を和服にわらじという出で立ちで踏破し、雑誌「中央公論」にその登坂記を載せました。登山家でもあった彼は後に「富士山に登って山岳の高さを語れ、大雪山に登って山岳の大きさを語れ」という名文句も残しています。

保護と開発、相反するこれらが縦糸と横糸となって織り出す珠玉のタペストリー、それが大雪山であると言えます。太田龍太郎が国家百年の大計として訴えた自然保護思想が脈々と流れ、塩谷、国沢の両氏と荒井初一が私財をなげうってでも人々に伝えようとした奥深き山の魅力や価値が今なお損なわれずに花開いているのです。どうぞ層雲峡へお越しください。人と自然との在り方を振り返りながらゆっくりと時が流れる癒やしの旅に、当館もお役に立てることができましたら幸いでございます。

nobu

参考資料:「大雪山物語」(北海道新聞社、1985)

「大雪山から育まれる文献書誌集 第2集」(東川町、2015)

ウエッブマガジン「カムイミンタラ」(りんゆう観光)

台風一過・・・??

2016年8月26日

北海道は、8月に3度の台風が上陸しました!!

一月に3回も台風が上陸したのは、北海道は初めてであり、また一生に一度あるかないかです。皆、こんな経験は初めてでした。

しかも、石狩川はまだ濁っており、水量もいつもの倍はありますが、これでもだいぶ減りました・・(汗)

一時、層雲峡も孤立状態だったのですが、すぐに復旧して、今は旭川へは行けますが・・石北峠や三国峠は行けなくなっております・・(泣)

しかし、流星・銀河の滝は普通に見学する事ができますので、安心してください。また、水量が多いので、今のうちにダイナミックな夫婦滝を見ることが出来ますよ~

また、滝の所に売店がありますので、観て見るのもいいかもね・・

台風は過ぎましたが、これから層雲峡は残暑を迎え、『日本一早い秋』がやってきますので、是非、当ホテルをご利用ください・・。

そして、層雲峡温泉と美味しいお食事を、お楽しみください・・。

流星の滝

流星の滝

 

 

 

 

 

 

 

本日(8月26日現在)の流星の滝です。下の川は石狩川です。

 

 

 

 

銀河の滝

銀河の滝

 

 

 

 

 

 

 

本日(8月26日現在)の銀河の滝です。滝の水は、なぜか濁っていませんでした。

 

 

 

 

台風時の石狩川(ホテル前)

台風時の石狩川(ホテル前)

 

 

 

 

 

 

3回目の台風が来た時の石狩川を、ホテル前から撮ったものです。普段は、岩とか見えるのに、この時は水量が上がっていて見えていないです。

 

 

 

 

 

本日の石狩川(層雲峡国道沿い)

本日の石狩川(層雲峡国道沿い)

 

 

 

 

 

 本日(8月26日現在)の石狩川の様子です。水量は多いですが、台風時に比べるとだいぶ減りました。しかし、中洲にあった木が根っこから倒れているので、どれほどの水が流れていたのかがわかります。

 

 

 

 

 

そして、おはるちゃんは思う・・。

『台風3回も来るなんて、初めての経験だなぁ・・(汗)でも、滝の売店で果物販売してるんだなぁ・・。珍しいなぁ・・。』

 

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大雪山連峰は夏山シーズン真っ盛りです。黒岳山頂から白雲岳を臨むと残雪の合間に浮かぶ若草のまだら模様がひときわ大雪山の夏を感じさせます。11日山の日、カラフルな山ガール・山ボーイが詰めかけその賑わいも見事でした。

さて、かつて講演の旅の途中、ある歌人がこの地に寄った際に当館近くのメノコ沢に伝わるアイヌ伝説に心ひかれて詠んだ歌が碑に刻まれています。この、大正の世に「世紀の恋」とうらやまれその後「公開絶縁状」で女性の地位を内外に訴えることとなった柳原白蓮(やなぎわらびゃくれん、伊藤燁子)です。 大正天皇の従妹で伯爵家という華族出身の燁子(あきこ)は13歳で華族女学校(現・学習院女子中等科)に入学、1900年(明治33年)に14歳で子爵の北小路随光とその女中の間に生まれた嗣子、資武(すけたけ)と初めの結婚をします。5年後に離婚。3年後には23歳で東和英和女学校に編入学し、勉学の傍ら佐佐木信綱の竹柏園歌会に入門します。再婚後も彼女は強い孤独感から別荘に文化人を招くことで現実逃避し第一歌集『踏絵』を自費出版します。その装幀と口絵は竹久夢二が担当しました。また、仏の道に心の行き場を求め、信仰心から日蓮に因んで雅号を柳原白蓮と称して創作を始めます。

第二歌集『幻の華』を上梓した頃、彼女の戯曲『指鬘外道』(しまんげどう)の上演の許可をもらいに別府の別荘へと7才年下の東京帝大生がやって来ます。機関紙「解放」の記者で社会運動家の宮崎龍介でした。辛亥革命を支援した浪曲師、宮崎滔天の息子でした。大正9年のことで、当時彼女が詠んだ歌が次です。 吾は知る強き百千(ももち)の恋ゆゑに百千の敵は嬉しきものと 以後、彼らは700通に及ぶ恋文の文通を経て密会し龍介の子を宿した後の1921年(大正10年)10月20日、燁子午前9時30分の特急列車で福岡に帰る伝衛門を東京駅に見送りに行ったまま日本橋の旅館島屋へは戻らず、龍介とともに失踪します。そして、23日の朝刊社会面に人権問題を前面に押し出した伝右衛門宛て絶縁状を公開します。出奔を正当化するために龍介と共に仕掛けたと言われています。白蓮36歳、龍介29歳のことでした。大正12年、結婚し宮崎家に入ると宮内省は華族除籍を発表し、全財産が没収されます。夫龍介が喀血し結核で収入が途絶えると、平民となった彼女はそれまで経験した事のない経済的困窮に直面し、筆一本で一家の生活を支えることになります。しかし、夫伝衛門は姦通罪を提訴するどころか、以後再婚もせず援助の申し入れまでします。彼女は頑なにこれを拒否し1935(昭和10)年には歌誌『ことたま』 を創刊、主宰します。取り巻きに対して「いっぺんは俺が好いちょった女ばい、貴様ら、絶対に手出しは許さん」「もう、こん事件については一切話すな」と、燁子や宮崎家に手を出すこと一切を伝衛門はきっぱりと禁じます。そして、伊藤家に残っていた宝石・貴金属・家具・生活用品を送るも、燁子はこれらを彼に送り返したと言われています。

1945年(昭和20年)8月、長男香織の戦死から「悲母の会」を設立しその後、平和運動に邁進します。そして、湯川秀樹夫人のスミらとともに運動を担い、北海道だけでも後志、札幌、月寒、石狩、旭川、十勝平野、根室、狩勝、北見など全国各地を講演して回ります。彼女が層雲峡を訪れたのは1953年(昭和28年)9月。当時の上川町観光協会が石碑を建立したのはその1年後のことと言われています。

碑は当館から来るまで10分、層雲峡清川の旧清川小学校跡地(国道沿い)に設置されています。

参考文献:白蓮れんれん(1994 林真理子 集英社文庫)、流転の華人柳原白蓮(2014 NHK出版)

nobu

北海道は、春の行楽シーズンに入り、春のお花達が最盛期を迎えています・・。

上川町周辺の近郊の市町村には、春を感じさせる施設がたくさんあり、特に「滝上町・芝桜」「湧別町・チューリップ」「紋別市・ラベンダー」「遠軽町・コスモス」「遠軽町丸瀬布・藤棚」「遠軽町白滝・つつじ」は、【オホーツク周遊200キロ 花回遊】として知られています。

また、「美瑛町・四季彩の丘」「旭川市・上野ファーム」「上川町・大雪森のガーデン」でも、四季折々のお花が楽しめるようになっており、多くのお客様で賑わいを見せています・・。

さらに、十勝~富良野~大雪を結ぶ【北海道ガーデン街道】には、「富良野市・風のガーデン」「帯広市・真鍋庭園」「帯広市・紫竹ガーデン」「幕別町・十勝ヒルズ」「中札内村・六花の森」「清水町・十勝千年の森」と上野ファームと大雪森のガーデンを含めた8つのガーデンを廻る街道として知られています。

是非、自分好みのガーデンを見つけてみてはいかがでしょうか

 

滝上町芝桜

滝上町芝桜

 

オホーツク花回遊の滝上町芝桜

 

 

 

 

 

湧別町チューリップ

湧別町チューリップ

 

オホーツク花回遊の湧別町チューリップ

 

 

 

 

 

【オホーツク周遊200キロ花回遊】

■会場:滝上町・芝ざくら滝上公園・TEL0158-29-2730:湧別町・かみゆうべつチューリップ公園・TEL01586-2-3600:紋別市・オホーツク流氷公園・TEL0158-27-4560:遠軽町・太陽の丘えんがる公園・TEL0158-42-8360:遠軽町丸瀬布・まるせっぷ藤園・TEL0158-47-2213:遠軽町白滝・ゲートボール公園・TEL0158-48-2212

■開花時期:芝桜5月上旬~6月上旬・チューリップ5月中旬~6月上旬・ラベンダー7月上旬~8月中旬・コスモス9月下旬~10月中旬・つつじ5月上旬~6月上旬 ※開花時期は、天候によります。時期により終了している場合があります。

 

旭川市上野ファーム

旭川市上野ファーム

 

北海道ガーデン街道の上野ファーム

 

 

 

 

 

 

富良野市風のガーデン

富良野市風のガーデン

 

北海道ガーデン街道の風のガーデン

 

 

 

 

 

帯広市真鍋庭園

帯広市真鍋庭園

 

北海道ガーデン街道の真鍋庭園

 

 

 

 

 

【北海道ガーデン街道】

■会場:上川町・大雪森のガーデン・TEL01658-2-4655:旭川市・上野ファーム・TEL0166-47-8741:富良野市・風のガーデン・TEL0167-22-1111:清水町・十勝千年の森・TEL0156-63-3000:帯広市・真鍋庭園・TEL0155-48-2120:帯広市・紫竹ガーデン・TEL0155-60-2377:幕別町・十勝ヒルズ・TEL0155-56-1111:中札内村・六花の森・TEL0155-63-1000

■施設開館時期:4月下旬~11月上旬  ※施設により変更になる場合があります。

 

■それぞれの交通機関:当ホテルから・・・

紋別市・車で約2時間:滝上町・車で約1時間30分:湧別町・車で約2時間:遠軽町・車で約1時間30分:上川町・車で約20分:旭川市・車で約1時間:富良野市・車で約2時間:清水町・車で約3時間:帯広市・車で約3時間:中札内村・車で約4時間

※問合せ先については、会場の電話番号を参照ください。開花状況により、時期が変わる事がございますので、詳しくは各施設にお問合せください。

 

そして、おはるちゃんは思う・・。

『天気の良い日にでも、ドライブでもしようかな・・。一人でも・・。』

 

皆様お久しぶりです!マッティです(^O^)!

タイトルにもありますように、4月1日にオープン致しました系列店舗のご紹介です♪

 

『 ホテルテトラ 八戸 』

八戸画像

 

東北エリアとしては2店舗目、テトラグループとしては19店舗目となります!

そして青森県八戸市は、私の生まれ故郷でもあります。

自身は地元から遠く離れた北海道層雲峡にいるのになぁ、と不思議な感覚です(笑)

(実家の母も「新聞にあんたのトコのホテル載ってたよ!」と喜んでいました^^)

 

4月に入り、東北地方も春らしくなってきていることと思います。

今年の八戸市の桜開花予想は4/16です♪  今から待ち遠しいですね(゜ω  ゜*)

ご旅行や出張の際は、是非!ホテルテトラ八戸で!!!

よろしくお願いいたしまーすヽ(^o^)丿

 

ホテルテトラ八戸

〒039-1101 青森県八戸市尻内町八百刈23-1
TEL:0178-27-0088

http://hachinohe.e-tetora.com/

 

 

皆さん、こんにちは

テトラグループの18番目の施設として、『ホテルテトラ鶴見』が、3月25日にオープンいたしました!!

まだ、オープンしたばかりでございますが、15日にオープンした赤羽同様、よろしくお願いいたします。

このホテルはどこにあるのか・・・というと、実は神奈川県鶴見区にあります。立地条件もよく、JR鶴見駅東口から徒歩5分、京急鶴見駅より徒歩2分の所にあり、名所『みなとみらい』へのアクセスも大変良いので、是非、ご利用くださいませ。

鶴見の客室は、シングル・ツイン・ダブル・トリプルルームとあり、禁煙ルームもそれぞれあり、その他に『多目的スペース』『インターネットコーナー』もございますので、ビジネスでご利用されるお客様も、安心してご利用いただける施設です

もちろん、全国のテトラグループの施設も、よろしくお願いいたします!!

 

鶴見多目的スペース

鶴見多目的スペース

 

 

 

 

 

 

 

ホテルテトラ鶴見 洋室

ホテルテトラ鶴見 洋室

 

 

 

 

 

 

 

 

【ホテルテトラ鶴見】

・住所:〒230-0051 神奈川県横浜市鶴見区鶴見中央4-5-13

・電話:045-504-1122

・客室:シングル・ツイン・ダブル・トリプルルームあります。禁煙ルームもございます。

・館内設備:多目的スペース・インターネットコーナー

・交通機関:JR鶴見駅東口より徒歩5分、京急鶴見駅より徒歩2分

-JR京浜東北線-

・JR品川駅より18分、JR横浜駅より9分、JR新横浜駅より20分(東神奈川乗換えあり)

-京浜急行線-

・品川駅より14分、横浜駅より17分、羽田空港駅より21分(京急蒲田乗換えあり)

 

 

そして、おはるちゃんは思う・・・。

『いつか、鶴見にいきたいなぁ・・。でも、いつになるのかなぁ・・。コミケなどのイベントある時に、利用したいねぇ・・。』

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